RIE NAKAJIMA
私にはフィルという、イギリスに住むハーフの従兄弟がいるのだが、あるときフィルと奥さんのサリーちゃん、幼い2人の娘さんがうちに泊まりに来ることになった。
フィルの父親が日本人であり、ルーツである日本を家族に見せたいということで、祖母の故郷である石川県や東京、大阪、そして広島を訪ねる大日本旅行の一貫だった。
従兄弟といっても、フィルとはこれまでに数回会ったことがある程度で、サリーちゃんと娘たちは初対面だ。
それなのに、彼らが宮島に来ると聞いたとき、つい「それなら、宮島と同じ廿日市市だから、うちに泊まったらいいよ」と言ってしまった。
後日、フィルの父親である私の叔父から「実際に日本の人が生活している家に泊まらせてもらって、すごく面白かったみたいだよ。ありがとう」と感謝されたから、私の誘いは間違ってはいなかったはずだ。
幼い我が家の子どもたちにとっても、良い国際体験になったことだろう。
さらに言えば、私は語学留学をしたことがあるので、英語スキルには問題ない。
ただ、従兄弟を除けば初対面のファミリーを招待して、気楽にもてなせるような、人間的なスキルがない。
夫は英語ができないので、大人数が集まる場ではただ笑っているだけのタイプである私が、ひとりでホストを務めなければならない。
おおごとである。
横隔膜がいつもより数センチは浮いているような、そわそわした状態でその日を迎えた。
加減がわからないので、夕飯はとりあえず地元のものを、と、牡蠣のオイル漬けや小イワシの天ぷら、お好み焼き、唐揚げ、ポテトサラダ、デザートに知り合いのお餅屋さんに頼んだきな粉のお団子などを出した。
明らかに量が多すぎたようで、フィルにはきな粉に盛大にむせ返りながら、「ごめん、僕らでは食べきれなさそう」と恐縮させてしまった。
ベビーフォトグラファーだというサリーちゃんはとにかく良い人で、私のぎこちないホストぶりをずっと笑顔で労ってくれていた。
夫は後日、初めて聞いた私の英国仕込みの英語力よりも、「見たことないくらいしゃべってたね」ということに驚いていた。
そのくらい、頑張ったのだ。
夕食後は5人の未就学児たちがめいめいに遊び始め、ほほえましいカオスとなった。
そのうちに、娘さんがスケッチブックに旅の思い出を描き始めた。
サリーちゃんいわく、広島の街や平和記念公園、宮島では嚴島神社や表参道商店街をまわったという。
なかでも娘さんが一番、印象に残ったのが、宮島のビーチで鹿が歩いている姿だったそうだ。
なるほど、宮島に鹿がいるのは当然のように感じていたが、本来、森にいるはずの鹿がビーチにいるのは、不思議な光景に違いない。
「アメイジング…… ディアーズ・オン・ザ・ビーチ……」
娘さんは歌うようにこう言いながら、最初に鹿を描いた。
ゆったりとビーチを歩く鹿の姿が、なかなかよく描けている。
次に、海の青をペンで塗り始めた。
さらさら… さらさらさら……
海の上には明るい水色の空が広がっていて、そこも塗り広げていく。
さらさら… さらさらさら……
後ろでサリーちゃんが、「ペンがテーブルにはみ出ちゃうかもしれないから、何か敷く物を借りたほうが良くない?」と焦っていたが、その頃には緊張が緩んで疲れ果てていた私は、「大丈夫、気にしないで」と答え、娘さんが描く様子を見つめていた。
心地良いペンの音と、娘さんが見た鹿とビーチの光景に、もう少し浸っていたかったのだ。
サク、サク、と鹿が砂を踏む足音が聞こえてくるくらい、鮮明な風景が目の前に広がっていた。
月日が経ち、あの日の疲れはすっかり忘れ、楽しかった時間と、鹿とビーチの記憶だけが残っている。
海を越えて訪れた娘さんが、宮島の新しい魅力に気づかせてくれた。
