記録

【MIYAJIMA_PEOPLE_vol.2】「宮島は変わってもいい、と気づいたときは衝撃でした」。“揚げもみじ”の生みの親であり、島民と新規参入者をつなぐ存在に/竹内基浩さん[紅葉堂五代目代表]

#もみじ饅頭 #宮島スイーツ #宮島名物 #宮島土産 #歴史 #職人・クラフト

宮島で暮らす人、働く人、ものをつくる人。
この島には、それぞれの立場から宮島を見つめ、日々を重ねている人たちがいます。

観光で訪れるだけでは見えてこない風景。
島にいるからこそ感じる変化。
これからも残したいもの、新しくつくっていきたいもの。

島を想い、島をつくる人に聞くインタビューシリーズ「MIYAJIMA PEOPLE」。
第二回のゲストは、紅葉堂(もみじどう)五代目代表の竹内基浩さんです。

竹内基浩さん

1912年の創業から100年以上続く宮島の老舗「紅葉堂」五代目。宮島で生まれ育ち、大阪の製菓学校で学んだ後、ホテルなどでの勤務を経験。26歳で宮島に戻ってからは、「揚げもみじ」を考案して大ヒットさせ、現在では「紅葉堂」や「MAGOJii cafe & gallery」など8店舗を運営している。自身が育った昔ながらの宮島の良さも知りつつ、これからの宮島を若い人たちと盛り立てたいと願う竹内さんに、ご自身のことや宮島の魅力について聞いた。

宮島を離れて気づいた
もみじ饅頭への思い

──「紅葉堂」を継ぐことは、若い頃から考えていたのでしょうか?

子どもの頃から宮島にいたので、家業を継ぐことは自然なことだと思っていました。当時の島には、うちのような饅頭屋や旅館、土産物屋が多くて、同級生もそれぞれ家を継ぎ、祭りがあればみんなで集まる。親たちと同じように、自分たちもそうして暮らしていくものだと思っていたんです。

ただ、両親や親族、ベテランのパートさんがいて、私がいなくても店は回っていました。それで卒業後はいったん島を出て、大阪の製菓学校へ。その後はホテルのパン部門や飲食店などで働きました。

──島を離れたことで、見えてきたものはありましたか?

「宮島の饅頭屋の息子です」と話すと、「ああ、もみじ饅頭ね。知ってるよ」と言ってもらえるんです。でも話していると、「この人、あんまり食べていないな」と感じることもあって。それが悔しかったですね。

昔のもみじ饅頭は、焼きたてはおいしくても、包装が今ほど良くなかったので、時間が経つと乾燥しやすかった。饅頭屋の子どもたちは、そんな饅頭をストーブであぶって、おやつにしていたんです。後の「揚げもみじ」につながる原体験は、そこにあったと思います。

創業期から受け継がれるもみじ饅頭の金型

店を立て直すために開発した
『揚げもみじ』が新しい名物に

──最初から「宮島の新しい名物をつくろう」と考えていたのでしょうか?

いや、全然違います(笑)。26歳で店に戻ってみると、思っていたより売上が良くなかったんです。焼き色が悪くて商品にできず、廃棄になるもみじ饅頭もあった。それを「何とかできないか」と考えたのが始まりでした。

どうせつくるならおいしいものにしたいと、フレンチや和食の料理人をしていた同級生に協力してもらって、揚げたてで一番おいしくなる衣を研究しました。横川の居酒屋「もり蔵」の店主も同級生で、彼からもアイデアをもらいながら、今の配合にたどり着いたんです。最初はパックで売ろうと思っていたのですが、近所の食堂で働いていた年配の女性から「串に刺したらいいよ」と言われて、今の形になりました。

母親と一緒にのぼりを手作りして、2001年の大晦日の夜に販売を始めました。すると朝まで行列が続いて、一晩で2500個売れたんです。小さな鍋でずっと揚げ続けるのは大変でしたけど、あのときは本当にうれしかったですね。

「揚げもみじ」

「宮島も変わっていい」。新しい店から受けた衝撃

──その後、宮島には新しい店も増えていきました。

伊都岐(いつき)珈琲さんや牡蠣屋(かきや)さんのような、新しくておしゃれな店ができたときは衝撃でした。「あ、宮島も変わっていいんだ」と。島の中で育ったので、それまではなんとなく「宮島は変わってはいけないもの」だと思っていたんですよね。

でも考えてみれば、宮島だって長い歴史の中で、時代時代で様々に変わり続けてきた。だったら、変わっていいんです。今振り返ると、自分ももっと堂々と新しいことを始めればよかったと思いますね。

誤解のないように言うと、宮島の自然やその生態系は変わってはいけないと思っています。平清盛は嚴島神社を建てるとき、ご神体である島そのものを傷つけないように海上に建設したくらいですから。我々は、そうした先人の積み上げの上で生活させてもらっていることを忘れてはいけないと思います。

──近年、宮島だけでなく、関東や関西でも揚げたもみじ饅頭が扱われるようになってきました。

そうですね。そうなったことは一つの食文化を作ったと、誇らしく思っています。今後も、その自負と誇りをもって努めていきたいですね。

実は、一つ夢がありまして、広島でお好み焼きといえば「みっちゃん総本店」と言われるように、私の名前が基浩なので、宮島の揚げもみじといえば「もっちゃん」と言われるようになりたいんです(笑)。それで、宮島口に揚げもみじの専門店を出したりもしています。売上的には揚げもみじだけに絞ってもよかったのですが、一方で饅頭屋として、従来のもみじ饅頭にも力を入れ、幹を太くしていきたいとも思っています。

もみじ饅頭の「幹」を、もっと太くするために

──従来のもみじ饅頭にも、さまざまな改良を加えているそうですね。

若い頃に感じた悔しさを、どこかで払拭したかったんだと思います。まず材料を見直して、広島産の卵や瀬戸内の小麦を使うようにしました。ただ、質の良い卵は生地にハリが出る分、硬くなりやすいんです。紅葉堂は昔から、ふわふわとした柔らかいカステラ生地が持ち味なので、攪拌の回数などを調整しながら、味と食感を両立させていきました。

2023年には、自社の製餡工場「稲葉製餡所」もつくりました。宮島のもみじ饅頭に使われる餡には、水にさらしてえぐみを抑える「さらし餡」という特徴があります。そのさらす時間や砂糖の量を調整して、よりコクのある餡に仕上げました。

2025年には「MAGOJii cafe & gallery」をオープンし、その餡を使ったスイーツも提供しています。

町家通りにある「稲葉製餡所」
「MAGOJii cafe & gallery」で提供されているスイーツ

子どもたちに「懐かしい」と
感じてもらえる空間づくり

──2026年には本店もリニューアルされました。

40年ぶりのリニューアルです。工場を店の外に移したので、その分、改良したもみじ饅頭の生地を試食していただけるコーナーや、ゆったりしたイートインスペースを設けました。それこそ『揚げもみじ』の本拠地として、記憶に残る印象的な内装にしたくて、「MAGOJii cafe & gallery」に作品を置かせてもらっている金属造形作家の辻陽水さんにお願いして、製造実演場に銅板のファサードも作ってもらいました。

壁や天井には経年変化を楽しめる無垢材を使い、宮島を訪れた子どもたちが大人になって再び訪れたときに「懐かしいな」と思い出してもらえるような空間を目指しています。

「紅葉堂本店」店内

これからの宮島をつくるために
若い人たちに挑戦してもらいたい

──竹内さんにとって「懐かしい宮島」とは、どんな宮島でしょう。

人と人とのつながりですね。昔は何かあれば島の人が自然と集まり、協力するのが当たり前でした。それがずっと続くものだと思っていました。でも、自分が子どもの頃には3500人ほどいた島の人口も、今では1300人ほど。高齢化も進んでいて、島では40~50代でも「若者」と言われるくらいです。

もっと20代、30代の人が増えるといいですよね。宮島出身かどうかは、あまり関係ないと思っています。外から来て事業を始める人も増えていますし、昔から島に住んでいる人だけでなく、宮島のことが好きで島を大切にしてくれる人と一緒に盛り立てていけたら。

いつか若い人たちが島を離れたとしても、「帰ってきたい」「懐かしい」と思える宮島であってほしいんです。そのためには、お店だけでなく、祭りや地域のつながりも残していくことが大切だと思っています。

毎年大晦日に行われる宮島の伝統行事「鎮火祭」(竹内さん提供)

──最後に、宮島の好きなところを教えてください。

千畳閣ですね。豊臣秀吉が建てた、丘の上の神社です。昔はおおらかだったので、雨の日は地元の子どもたちと境内でよく遊んでいました。建物の中は広大で、大きな絵馬やしゃもじもあり、面白いですよ。

それと、光明院の近くに、宮島で井戸を掘ったり、特産品の杓子(しゃくし)を考案したりしたお坊さんの誓真さんを祀った石碑(誓真大徳碑)があるのですが、ここからの景色が良い。海と宮島の町並み、それに千畳閣や五重塔も見渡すことができます。住民は昔からなぜか「隠居場」と呼んでいる穏やかな場所で、春には桜もきれいですよ。

Text

RIE NAKAJIMA

ライター。幼少期を千葉、新潟、大阪などで過ごし、東京や海外を放浪した末、夫の故郷である広島県廿日市市に流れ着く。曾祖母は宮島の人だったらしく、「戻ってきた」と言えなくもない、と思っている。趣味は娘との猫カフェ訪問とスイーツ食べ歩き。